【古仏画修復】自分より大きな本紙の修復【涅槃像】
表装修復歴40年以上の父と、同じく40年以上のベテラン職人の指導の下で、ボロボロになった紙本、破れて折れた紙本、穴の開いた絹本、染みの目立つ絖(ぬめ)などを修復しています。墨跡、水墨画、仏画などに心を動かされながら、修復後の美しい姿を見るとやりがいを感じます。本紙には一つ一つ個性があり、同じ方法での修復はできません。パターン化できる部分もありますが、さまざまな場面で落とし穴が待ち受けています。経験の浅い私は、その落とし穴に、みごとにはまってしまうのです…。そんな失敗談も踏まえた修復の過程です。まだまだ未熟な私の作業ではありますが、温かい気持ちで読んでいただけましたら幸いです。
涅槃図を広げてみる
身長154㎝の私が大きな涅槃像の修復に取り掛かります。本紙は保存状態が良く無傷に近いです。色落ちもなく、細かな絵柄をずっと眺めていたい気分でした。
裂地等はすべて傷んでおり、人間でいうなら洋服がズタボロ状態です。本紙も傷んではいないものの、糊で継いだ部分が浮き、人間に例えるなら複数か所脱臼している感じでしょうか。
深い藍色の天地にあかがね色の中廻し、薄い水色の一文字でした。佛表具です。藍色にあかがね色(銅色)は佛表具には鉄板というくらい美しい組み合わせです。ボロボロになってもなお、尊厳を失わない凛とした佇まいでした。
紙本は年季が入るごとに変化が訪れます。人と同じように、湿気や乾燥を耐え抜いた結果、シワがより、たるみ、肌はカサカサ、顔料は剥げ落ち、素材によっては腐食したりです。
この作品は保存状態がよっぽどよかったのか、少しシワがいき脱臼しているくらいでした。色彩美しく、細部まで細かく描かれています。
私が所属する修復部と、職人さんが所属する修復部(本社)は実は違っています。実はこの後、本社の方でも涅槃図の修復依頼が入り、お手伝いしました。非にならないほど状態が違っており、苦労しました。保存が良いということはここまで違うのかと思うくらいです。女性なら若いうちからスキンケアに気を付けていたか、いなかったか。年が行くと、その違いははっきり出ちゃいますよね。それと同じだと感じました。
作業① 総裏を剥ぐ
軸の裏面の一番外側は『総裏』と呼ばれます。作品の裏面にはたくさん肌着を着せられています。本紙の背中がピンとはるように肌着を1枚(肌裏)、本紙が薄っぺらいまたは弱い場合はもう一枚(とも裏)最後に総裏がきます。お洋服の正面と裏面です。今回は総裏がもう剥げています。これなら薬剤を使わず剥げるので、手作業でどんどん剥いでいきます。どんどん剥げる作業は『爽快』の一言です。
作業② 裏打ち
一昔前は、大きな紙はありませんでした。画材を切継ぎし、大きな画材にして書き込んでいます。今回の作品は5分割、運が良い事に上中下と3分割が可能でした。
本当は継ぎ接ぎの大きな作品は一枚物として裏打ちまで行います。裏打ちは基本作品を裏にして肌裏を打ちます。作品が裏を向いてるので、もし継ぎ接ぎ部分がずれてしまっても、気づく事ができません。作業台にライトを埋め込み、下から照明を当てて絵を透かせる作業台が実はあるのですが、大きな作品用ではないため今回使っていません。今回も同じように行っていたのですが、シワを伸ばしている際に寄れる部分が気になり、禁断の分離をしてしまいました。おかげで本紙裏打ち済みが3分割になってしまいました。これが後の完成に大きく作用してくるのです・・・。
今回は色落ちが怖いので洗いませんでした。その代わり、シワを伸ばす作業時に、水をたくさん使います。その時に少しの汚れは落とせました。ただ、中央のお釈迦様の金色が落ちてしまわないか不安で不安で。裏打ち+乾燥後、お釈迦様が光輝いていたのでほっとしたのですが、お体の部分、もう少しチャレンジして洗ってもよかったのかもしれません。
作業③ 3分割を合体
ある日、出勤すると3分割が1枚物になっていました。妖精さんが(ベテラン職人)がくっつけてくれたそうです。
ただし、3分割したせいで絵柄が多少合わない所が出てきて大変だったそうです。申し訳ありませんでした。その苦労した写真を撮りたかったとは言えませんでした。
←御覧ください。どこが絵柄があっていないか、分かりますか?
作業④ 裂取、切継ぎ、総裏が終われば最後の仕上げ
裂取(社長)、切継ぎ(社長)、総裏(本社)を経て帰ってきた掛軸の仕上げを行います。作業台からはみ出るほど大きな掛軸となって帰ってきました。裂取と切継ぎは社長が行います。今回は落ち着いた茶色系で纏めています。
総裏の耳を切ります。裏打紙を掛軸裏面にプレス機でしっかり圧着した後、裂地を切ってしまわないように刃に入る力を調整しながら切ります。ハンディアイロンで熱を加えるとするする~と剥げる裏打紙と剥げない裏打紙があります。また裂地との関係性で剥いでる最中にぶつ切りになったり、裏打紙の薄皮1枚残して剥げる場合もあり、時間がかかります。裂地の繊維1本すらも巻き込んではいけない耳切です。神経を使う作業です。
ちなみに裏打紙の薄皮一枚が熱を当てても剥げないものに関しては、カッターの刃の切れない側でカリカリ引っかき落とします。裂地には柄や性質上あまりカリカリすると繊維が傷みます。裏面は見えないかと思いますが、掛軸は収納等で巻いたときに裏面もしっかり見えてしまいます。耳が汚いと、切継ぎからやり直しになるので、やはり耳切は繊細な作業のひとつになります。
寸法を測り、軸棒を取り付けます。軸棒には様々な個性があります。前に表装されていた軸棒なんて、職人さんの性格が出ていたりするし、見ていて勉強になります。この斜めの傷は、「下方」の目印だと思われます。軸棒は、木です。乾燥や湿気を耐え抜いた軸棒はまっすぐなものもあれば、歪んでいるものもあります。歪んだ軸棒を取り付けると、軸自体も歪みます。なので、極力歪みの力が大きくならないよう、歪んでる面は下に来るよう、或いは正面に来るよう取り付けます。その辺もやはり職人技になります。私はぺーぺーなので、目印のある軸棒には逆らわず、その通り取り付けます。
軸棒を再利用しない場合は、本社から新しいまっすぐな軸棒が総裏済みの掛軸と一緒に帰ってくるので、何も考えず取り付けています。そしてたまに曲がっているのに後から気づいてやり直しをするという、なんとも非効率な事をしています。
軸棒を取り付けたら、表目(掛軸一番上にある軸を支える木)を取り付けます。
表目が付けばカンを金づちで取り付け、風袋を取り付け、軸紐を取り付け修了です。
仕上げは最後の最後、完成を見る事ができるので楽しい作業の一つになります。風袋は1から作り、表目に縫い付けるのですが、ペンチを使う力業を行っています。表目はもちろん木です。柔らかいとは言え、木に針と糸で縫い付けます。そんな作業も次回、参考画像を準備してご紹介します。
今回は大きな涅槃像の修復、そして仕上げ(主に軸棒取り付け)をご紹介しました。掛軸はリビングに飾るアート作品(額)に比べて需要は少ないです。少ない故に知らない事も多いです。ただ見て鑑賞して終わりだと、興味もそこで終わってしまいますが、内側(作業過程)を知る事で興味がさらに続いてくれたら幸いです。